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〜医者はどこまで患者と向き合っているか?〜主治医はあなた【随時更新】

現代の医療のあり方に一石を投じ、これからの医療の可能性を模索する。
心身統合医療に力を注ぐ、医師・樋田和彦のメッセージ。

主治医はあなた

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Session2がん患者「いずみの会」
トークセッション

医師 樋田和彦 × いずみの会 会員

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対談

2016年6月24日実施

対談に参加してくださった方

■いずみの会 Oさん
2010年9月、肺がんの抗がん剤2クール治療、放射線20回、11月中旬に手術。
術後に抗がん剤治療4クールを行い、今は自然療法を行っている。
■いずみの会 Kさん
2009年、大腸手術。2010年、甲状腺がんが疑陽性に。
しかし自覚症状もなく、ずっと自然療法を行っている。

■「病気は自分で治さないと治らない」を教えてくれた「いずみの会」。

O: 2010年7月の健診で異常が出たので精密検査したら肺がんでした。「いずみの会」を知ったのは、肺がん(腺がん)の手術で入院していたときに読んだ「わかさ」という雑誌に載っていたからです。名古屋にそういう会があると知り、女房に「これに入ったら」と勧められたのがきっかけです。退院後、在宅での抗がん剤治療を終えた4月に、「いずみの会」に入会しました。
じつは治療後1年目に脳に転移しましたが、進行することはありませんでした。定期的な検診のみで6年になりますが、今のところ問題ありません。「いずみの会」に入って、同じがん患者の方に出会いました。特に肺がんは交流会があり、そこでいろんな情報を得て、「病気は自分で治すもの」という考えを初めて知りました。それまでは、どちらかというとお医者さんに頼って治していただくという感覚でいましたが、先生や講師からいろいろ話を聞く中で、自分の病の原因は自分にあるのだから、自分で治していくべきだという意識に変わってきました。
最初のうちは食事療法だけを取り入れていたのですが、「いずみの会」の仲間と接するなかで、精神的なこと、心の持ち方、運動、そういったものがトータルで病を治していくのだと考えるようになりました。特に重要なのはストレスをためないこと。僕は公務員で几帳面な性格でしたが、「これじゃだめだな」と。これからも仲間の方から情報をもらって、少しずつ自分の中に取り入れていこうと思っています。

K: 私は大腸がんの手術をした後、「いずみの会」に入りました。その後、主治医の紹介で受診した病院で甲状腺がんと診断されたのですが、どうしても手術する気にならなかった。甲状腺って、声帯もあるし自律神経のバランスにも関わる大事なところでしょう。一生ホルモン剤と付き合うようなことになったら嫌だと思いましたね。「いずみの会」でいろいろと勉強もしていたこともあって、「とりあえず手術はしないでおこう」と決めたのです。
ところがお医者さんに「手術はしないで、まずは半年ぐらい様子を見たい」と言ったら怒られました。「甲状腺は未分化がんが一番怖い。様子を見ている半年のうちに未分化になったらどうするんですか」と。私が「責任は私が取りますから」と言っても、「今はそう言っていても、重症になったとき、先生があのとき説得してくれなかったと言うに決まっています」と納得してくれない。これ以上、言い返しても仕方ない思い、「わかりました、考えてみます」と4日後に予約を入れて帰宅しました。その後、電話でキャンセルをして、それきりです。病院には行っていません。そのお医者さんからも連絡もありませんでした。あれから6年になりますが、こうして元気にしています。結果からいうと、あのとき大急ぎで手術をしなくて良かったということになりますね。

■がん患者に対して、医療機関は精神的なケアをしない。それを行うのが「いずみの会」。

O: 僕は医者にがんと言われたとき、本当に落ちこみました。すごくつらかったんですよ。がんの知識も何もないですし。ところが医療機関では、そういったショックに対する精神的なケアはなく、ただ単純に「がん」と宣告するだけなんですよね。もちろん治療について説明はありますが「治るかどうかはわかりません」と。毎日眠れず、普通の生活に戻すのに、ひと月以上かかりました。あの時の医者とのやりとりを思い出すだけでも、孤独で辛い気持ちになります。

K: 私を診察したお医者さんも、画像を見て「ああ、がんですね。ステージ2ですから手術が必要です。今日、外科に行けますか」と、あっさりとした会話でした。しかも初期のがんは別として、再発するともう治らないって先生は言われますね。そういうふうになっているんですよね。

樋田: いまだに医学教育そのものが、がんを特別視している部分があります。特に医療では、心とか精神作用、いわゆる潜在意識というものを認めない傾向にあります。がんをただの物質と捉えれば、意識によってその物質が小さくなると思うはずもありません。

O: 僕は、医療機関にも精神的なケアをする人が絶対に必要だと思います。例えば食事面で管理栄養士は、精神科医との連携など、トータルで病気を治すという考え方がなければ、どれほど医学が進歩しても、患者を本当に救うことはできないのではないでしょうか。

樋田: 患者さんがまず知りたいのは「なぜ自分がそうなったか」ですよ。それがわからないうちは、患者さんは不安でしかたない。もし原因がわかれば、用心することだってできる。これこそ私は予防医学の原点だと思います。心身医学の研究では、「精神的な抑圧をずっと続けていると、がんの防御機構が全般的に弱まる可能性がある(※参照)」といわれています。つまり、精神作用の影響を受けてがんが発生しやすくなると。すでに外国では、精神面に働きかけてがんを治療したり予防したりする「セルフコントロール」や「イメージ療法」も受け入れられつつあります。

O: がんと宣告されるのは辛いですが、もしも医者が「自分の胸に手を当てて、どうしてがんになったか考えてみましょう」と言ってくれたら、まだ自分で対処する余地が残されているということです。それは一筋の希望にもなります。しかし医者は、原因などには言及せず、がんの治療法を説明するだけ。しかも、そのバリエーションは、切るか、取るか、抗がん剤を打つかの3つだけ。でも、いくら腫瘍を取っても、体質を変えるとか、意識を変えなければ、またできてしまうと思います。

樋田: それに、生き物としての働きをどう高めるか、どう癒していくか、その人にどう自信を持ってもらうかといった考え方が特に必要ですが、がんの3大療法は手術、放射線、抗がん剤で、いずれも破壊療法です。破壊するということは、免疫の低下につながる可能性もあるわけです。免疫力が下がってがんになったのに、また免疫力を下げさせる。その破壊に対して、反発するエネルギーや気力、体力のある人は、良い効果を得られますが、そうでない人もいます。

O: そういう中で、「いずみの会」のような存在は、非常に貴重だとつくづく思います。医療機関ではやってくれない、仲間による精神的なケアができます。

樋田: そうですね。しかも、そういった精神的なケアが、患者さん同士の間で自然に生まれてくる。会員の皆さんの話を聞いていると、時々、悟りを開いたお坊さんのように感じることがあります。やはり難病を治すというのは、そういう精神的な系統のものも必要だと思っています。

[このような考え方は、抑圧を強化するものであるから用心したい]

  1. 私はいつも勇気を見せなくてはならない
  2. 抑うつ、不安、そして怒りは私をますます不健康にする
  3. 医者のすることや出す薬に疑問をもってはならない
  4. どんなネガティブな考え方もしてはならない
  5. 私は恐怖を克服しなくてはならない
  6. 私は家族のために強くあらねばならない
  7. 私は自分の痛みのことで友人に負担をかけてはいけない
  8. 私は非のうちどころのない患者になろう
  9. みんな私によくしてくれるから文句など言えない
  10. 早く良くならなければならない。私の症状がみんなを左右するのだから
  11. もし痛みや悲しみを表現したら、人は私を感情的なやつだと思うだろう

「がん性格」リディア・テモショック著 創元社より

■いずみの会は、救いを求める場所ではなく、自分への気づきを促す場所。

樋田: 「いずみの会」の会員さんの生存率について、元中山会長は97%といわれていました。一般的には信じられない数字です。ただし、この会に入会した意思というフィルターがかかっていますから、一般的ながん患者のデータと違うのは当然かと思います。

O: 97%の裏付けがどこまであるかはわかりませんが、会員の生存率が非常に高いことは事実です。僕も中山さんの本を読んで「がんは治る」と思いました(笑)。

K: 会員の中には、同時期にがんの手術をした人の多くは亡くなったのに自分はまだ生きている、という方が確かに多いです。会員数は今500人くらいですが、おそらく生存率はかなり高いと思います。

O: 入会者の人数は年間120人ほどで、今日も3人の申し込みがありました。ただ、入会する方が多い反面、同じくらい退会されてしまう。とりあえず入ってみたものの、「いずみの会」の意義がつかみきれず、「私には合わない」とか「何もしてくれない」と感じる方が多いようです。

K: 中には入院ができると思っていたり、一緒に暮らしたり、みたいなイメージを持っていらっしゃる方もいますね。でもここは、そういうところではありません。

O: 困るのは、「何とか治る方法はないか」と相談される方です。ここは、そういうところではなく、情報提供や情報交換をするところ。そして自分で選択していただいて、自分に合う方法を見つけていただく会です。お医者さんに頼るような感覚で入会されても、病気は治らないと思います。他力本願ではなく、自分がその気になって治すという意識を芽生えさせるには、自身の努力が何よりも大事です。がんになるのも治すのも、自分の心しだい。心の問題です。

K: 「いずみの会」は、気づきの会だということを事前にきちんと話せば、違うかもしれません。私は入会して、ようやく気づくことができたんです。もともと私は頑張りすぎる部分があって、誰もやる人がいないと、じゃあ自分がやります、というタイプでした。仕事は残業続きで、子育てしながら義母の介護もしていて、ハードな毎日を送っていました。「病気になって当然」と思っていたら、がんが見つかって。それを機に、ずっと責任感で無理して続けていた仕事をやめました。自分自身に「あなたはがんにまでなったのよ。それ以上頑張ることない」と自分に言うことができたのが、一番ありがたかったです。
最近は無理をしない。できないことはだれかできる人がやるから大丈夫、と思えるようになりました。とは言っても、性格はそう簡単に変わらないので、頑張ってしまうときもありますが、手を抜くところは抜いてストレスが溜まらないよう心がけています。

O: 僕も、がんになるのは自分にも原因があることを「いずみの会」で気づくことができました。自分と向き合い、自分がわかってくれば、自分を変えようと努力することができます。

樋田: 私たち医者は、病気を治すのではなく、患者さんご自身が治すのを「どれくらいお手伝いできるか」という関係性がそこに生まれます。

K: お医者さんは高い技術を持っていますし、病院ではいろいろな検査もできます。ですから、言い方は悪いですが、私はお医者さんや病院を「利用する」というスタンスで接してきました。

樋田:  私は「主治医はあなた(患者さん)」とつねづね言っていますが、Kさんはまさにそれを実践されていますね。

K: 「いずみの会」はそれを実践することを学ぶ会だと私は思っています。

樋田: そのとおりですね。「いずみの会」に入っていないがん患者さんは、「運が悪かった」とか「遺伝だからしかたない」と考える方がほとんどだと思いますが、会員さんに「がんになった原因がわかりますか?」と聞くと、みなさん「分かる」と答えます。これはすごいことです。

■自分だけ違うという特別感がない。がん患者さんにとって、そういう関係性はとても大事なこと。

樋田: なぜおふたりは、事務局のスタッフとしてボランティアをされているのですか。大変ではないですか。

K: 大変と言えば確かに大変です。アルツハイマーが発症して介護4の義母の面倒も見なければいけませんし。でも、ここに来て仲間の皆さんと話をしたり、電話で相談に乗っていたりすると、自分を奮い立たせることができるんです。人に食事療法を勧めるからには、自分もいい加減なことはできませんし、勉強もしなくてはいけない。結局は自分のためになる。だから続けていられるのでしょうね。

O: 僕も同じです。それに家にいてもポジティブに考える動機付けにならないですから、少しずつお手伝いをするようになりました。

樋田: ところで「いずみの会」はふだん、どんな活動をされているのですか。

K: 基本的に定例会は年に6回。本部のある名古屋でおこないます。さらに東京と大阪で、それぞれ2か月に1回、交流会のようなものを開催しています。他には、旅行やウェルカムセミナーを開催したり、こうして事務所で電話相談をしたり。今日は比較的、電話が少ないですが、多い日は、ひっきりなしにかかってきます。

樋田: 電話相談を受けたとき、どのように話をされるんですか。

K: 私は答えを出さないようにしています。初めて電話をしてきた、顔も知らない人に「こうした方が良いですよ」とは言えませんし、怖くて答えなんて出せません。一緒に考えるという感じでしょうか。ただ「私はこう思いますよ」とお伝えはしています。たとえば今日、電話をかけてきた方は、乳がんから骨転移をして抗がん剤治療を少し行った後、自然療法に切り替えたものの、骨に痛みが出てきてしまった。できれば少量の薬で乗り切りたいといった相談でした。それに対して私がお伝えしたのは、いかにストレス、不安、恐怖が免疫力を下げるかということ。何よりも大事なのは、あなたの心が恐怖から逃れることなので、がんとはどういうものか、自分に何かできるのか、まずは学びましょうと。がんなんて怖くない。人間の体はちゃんと治る方向に信号を出してくれるから、それを信じられるかどうかが大事なんですと。私たちは絶対にあなたを治しますとは言えないけど、治っている人がいるから、あなたも仲間に入りましょう、一緒に目指しましょうと。

O: がんと宣告された時、みんな最初にそういうことを聞きたいのではないでしょうか。相談の受け答えにマニュアルはないので、私たちができるのは、自分のやっていることや、自分の考えを伝えること。判断材料として提供はできますが、それが絶対に治る方法であるとは言えません。最終的には、本人がどうするかを決めなければいけないのです。

K: 最後に私がいつも伝えるのは、がんで「死ぬ」って思っていちゃだめということ。その恐怖で夜も眠れない、という状況が一番免疫力を落とすからと。不安だったら毎日電話してもいいですよと言います。

樋田: 「いずみの会」の利点は、同じような経験をした方の集まりだから、皆さんに病人という孤立感がないことです。例えば家族の中で、自分だけがんという病気を背負ったとき、周りから「病人」と見られる立場になるでしょう。ところが周りの人もみんな病気だったら、自分だけ違うという特別感がない。自分は見る立場であり、見られる立場であり。そういう関係性がとても大事なことじゃないかと思います。

K: 私もそう思います。患者さんはいろいろな悩みがあるから誰かに話を聞いてもらいたい。ところが健康なお友達に話すと「医者には行ったの?」とか「大丈夫?」とか、話が通じない。自然療法で、「びわ」だの「身体をあたためる」だのといっても、一般の人は「なにそれ?それよりちゃんと抗がん剤治療をしているの」って言う人が多い。そのうちいやになって、その人と会うのも億劫になってくる。その点、「いずみの会」では、一番素直でいられる。何を言っても受け止めてもらえるから、悩みもとことん言えます。

樋田: 定例会で、新たに仲間入りをされた方が舞台の上に立って、がんにかかった経緯とか自己紹介された後、会場中の人たちが「大丈夫!」と一斉に声をかけて元気づけるでしょう。あの集団的無意識が生み出すパワーはとても大きいと私は思っているんですよ。難病であるほど、そういった心理に働きかける要素がとても大事になってくる。皆さん、深いところでつながっているというか、信頼しあっている雰囲気を感じ取ることができます。

O: 2カ月に1回定例会がありますが、わざわざ横浜とか滋賀から毎月参加する方がいます。そういう方が多いですよ。九州から来る高齢の方もいます。毎月よく足を運ばれますね、と声をかけると、「2ヶ月我慢している。みんなの顔を見て元気をもらいにくる」と。そうだなと思いました。仲間というのは本当に大事。特に同じ病気の仲間はね。お互い励まし合って、お互いに健康になれれば良い話ですから。

対談を終えて

国民医療費が右肩上がりで、ますます高騰するなか、注目されてきているのが統合医療です。これは西洋と東洋を合わせようというものですが、2つは性質が異なるので、医学的に噛み合いません。しかし、その人に合うものであれば、それは間違っていないはずです。結局は本人が決めること。つまり、主治医はその人の中にあるとしか言いようがない。そして医者は、その人の中に入っていき、その人はどういう人なのかを診る。同じ症状があっても、人によって違いますし、人間関係も家族関係も生まれも育ちもみんな違うはずです。
「病を治すより人を見よ」というのは、大昔から言われていることですが、この基本的な理(ことわり)を重視できるものが統合医療だと私は受け止め、日々、患者さんと向き合っています。
今回、「いずみの会」のおふたりからお話を伺い、医療従事者には耳の痛い話もありましたが、何が正しいか正しくないか、という観点ではなく、患者さんの「心の叫び」であると受け止め、きちんと耳を傾けることが大切だと思っています。(樋田)

ケーススタディ

ケーススタディ1(69歳女性)

がんになる以前より、健康に暮らしています。

■がんと知った私が決めたこと

子宮体がんとわかったのが、4年半前の2011年8月でした。少し出血があり、たいしたことはないと思いましたが、念のために総合病院で検査をしたところ、悪性の子宮体がんで肉腫があると診断されました。宣告を受けて頭が真っ白になると言いますが、あまりそういう感じはありませんでした。「私はこんなふうになってしまったのか」と、そんな気持ちでした。

その後、先生に「手術が必要です。手術では骨盤のリンパを全部取るのが普通です」と言われましたが「取らないで治療をしてください」とお願いしました。じつは少し前に「がんになったら読む10冊の本」(船瀬俊介著)で「いずみの会」の中山会長や安保徹さんの本と出会い、そのなかに「手術でリンパを取ると、リンパの流れが悪くなってしまい、リンパ浮腫になる心配がある」と書かれており、リンパは取らない方が良いと考えたからです。

先生はなかなか納得してくださらず、別の病院でも診察してもらいましたが、「リンパを取るのが世界標準なので、リンパを取らない手術はできない」と言われ、最初に受診した病院で早めに手術することを勧められました。

最初の病院の先生にもう一度「リンパを取らずに手術してください」とお願いしたところ、「わかりました」と承諾してくださいました。リンパを取らない手術は短い時間で済み、10日ほど入院しました。

■「抗がん剤はやめる」という決断

そろそろ退院という時期、先生が「リンパを取らなかったので、リンパに転移しているかもしれない。退院する前に抗がん剤をした方が良い」と言われました。抗がん剤をする気はありませんでしたが、「抗がん剤の副作用について教えてください」と尋ねると、先生は時間外に予定を入れてくださり、夫と私に1時間くらいかけて説明をしてくださいました。それによると、髪が抜けるだけではなく、内臓も荒れ、血液中の白血球・赤血球が減るなど、いろいろ副作用があるということでした。「とにかく退院して子どもたちとも相談して決めたい」とお伝えし退院させてもらいました。

その後、娘や息子に集まってもらい家族会議を開きました。息子には私の考えを理解してもらうため、事前に安保先生の本を読んでもらっていました。最初、夫は抗がん剤をするべきだと言っていましたが、なんとかやらない方向で頑張ろうと、家族みんなに賛成してもらいました。

次の診察時、先生に「抗がん剤はやめたい」と言うと「はい、わかりました」と、すっと納得してくださいました。

■中山会長の本から学んだ、日々の生活

退院後は、中山会長の本を参考に、玄米菜食などを始めました。大変だったけど治られた方が何人かいらっしゃると知り、私もこの方法でやれば大丈夫ではないかと、すぐにいろいろと取り入れてみたのです。びわの葉のお灸は、がんになる前に娘がお友達に教えてもらっており、びわの葉も家にありましたので、さっそく実践しました。散歩も良いということで、退院してしばらくしてから、できるだけ歩くようにしました。にんじんジュースもよく作ります。玄米菜食、びわの葉のお灸、にんじんジュース、とにかく自分で一生懸命やっています。

「いずみの会」の定例会にはほとんど参加し、いろいろ教えていただき参考にしました。尿療法も「いずみの会」で知り、手術の翌年の3月頃から毎朝コップ一杯の尿を飲んでいます。おかげで風邪もひかなくなり、疲れもあまり感じなくなって丈夫になりました。

東城百合子さんの本に「砂浴が良い」と書かれており、娘に話したら、じゃあやろうと協力してくれて、近くの海岸で2回ほどやりました。そのうち出血も止まりましたので、先生に「ちょっと治ってきた感じがしますが、手術した方が良いですか?」と尋ねました。エコーで見ていただき、まだあるから手術してくださいと言われたこともありました。

■家族の応援があったから頑張れた

子どもたちがずいぶん心配や協力をしてくれまして、ありがたいと思いました。息子や娘たち夫婦、孫たちも一緒に海へ行って、孫は海水浴で遊ばせながら砂浴をやりました。肉腫があるということで、リンパを取るか取らないか、ずいぶん迷いました。「いずみの会」の顧問の岡田先生に相談に行ったり、安保先生のホームページで質問したりしました。結局、リンパは取らない方が良いという回答でした。定期的に病院で血液検査をしましたが、ずっと異常なしで、腫瘍マーカーもそれほど悪くなっていません。

■仕事のストレス、親の介護や看病が重なった日々

がんになる前の自分を振り返れば、市の職員として長年働いてきまして、仕事上のストレスが多くありました。父が独り暮らしをしていて、91歳と高齢になり、体も弱ってきていましたので、迷いましたが、停年の2年前に58歳で退職しました。ところが父はこの年の3月に亡くなってしまいました。がんになったのは64歳ですので、仕事のストレスが原因かどうかはわかりません。母は、父が亡くなる14年前に胃がんで亡くなっていまして、そのとき充分看護できなかったことや、父の介護、看病のことなど、両親の家を片付けながらいろいろ考えたりしていたことも、がんになった原因かもしれません。性格的には、内向的で、生真面目、神経質で頑固、感情を抑制し、自由に発散することができないといった性格で、こういったことも原因となったのではないかと思っています。

■「いずみの会」との出会いが、人生を変えた

がんと宣告されてから4年半になりますが、再発も転移もなく、当時より健康になり、毎日楽しく幸せに暮らしております。近くに山があるので、朝は自然の中を1時間くらい歩いています。朝歩くと一日元気に動けますし、散歩で会う皆さんとのも会話も楽しくて。孫が病気になったり入院したりしても、私が元気なのでいろいろ世話ができて良かったと思っております。野菜づくりは前からしていましたが、がんになってから始めた自然栽培が上手にできるようになり、収穫時はとても幸せを感じます。花の種や苗をいただく機会も増え、花をたくさん咲かせるのも楽しみの一つです。これからも毎日を明るく楽しく過ごしていくようにしたいと思っています。

半年に1回の検査も、この10月で終了となります。今までCT検査はお断りして血液検査のみにしていたのですが、先生が「最後にCTは撮った方が良い」といわれ、いろいろ考えましたが「特に調子の悪いところもなく、できればこのまま検査をしないで終わらせたい」と先生にお伝えすると、了承してくださいました。転移を心配して、しっかり定期検査される方は多いのですが、私は「いずみの会」に入ったおかげで、再発や転移をそれほど心配しないようになりました。ボランティアで来てくださった方が亡くなって悲しい思いもときにはありますが、元気にやっておられる方もたくさんいらっしゃるので力づけられています。「いずみの会」に入って本当に良かったと思っています。

人は深刻な病名をつげられると、病院でも、家族の中でも、「病人」として特別視されるようになり、弱者としての意識が生まれます。「今日お母さんどうだった?」と心配して聞かれる立場にいると、いつのまにか惨めな思いになり、孤立感も生まれやすい。まして情報化社会では、病気に対して重い報道がされることが多く、周囲がいっそう深刻になるため、免疫力にも影響を及ぼしやすい。しかし「いずみの会」は、同じような病名をもらい、同じような境遇になった方の集まりなので、自分が特別なものではないという立場に戻れます。そういう意味で対等ですし、助け助けられ、励み励まされといった環境がごく自然に形成されています。こういったことが功を奏し、皆さんの免疫力によい影響をもたらしていると考えています。(樋田)

ケーススタディ2(40代女性)

なるべくしてこうなった。今は理解できます。

■「抗がん剤でも何でもやります」

約1年前、2015年3月に腹部の調子が悪くなって総合病院へ行きました。1日中かけて内臓系を検査し、最後に受診した婦人科で卵巣がんと言われました。すぐM大病院を紹介され、1週間に診察しましたが、やはり卵巣がんでした。大きな病院なので段階があり、「もう一度、家族と一緒に来てください」と言われまして、そこで「ステージ3です。すでにたくさん散っていて、手術ができず、抗がん剤しかありません」と説明を受けました。

それ以前に「がんになったら読む10冊の本」(船瀬俊介著)を読んでいた私は、抗がん剤がいかに良くないか、イヤというほど知っていたのですが、いざ自分ががんになって「抗がん剤しかない」といわれると、「私には抗がん剤しかない。手術もできないのだ」と思いました。腹水がたまっておなかもパンパンで、身体も辛かったので、「抗がん剤でも何でもやります」と。すぐ入院し1回目の抗がん剤を打ちました。今思えば、副作用もあったのですが、痛さが強くて当時は気づきませんでした。全部で8クール受け、3クール目から副作用が出て、それが本当に辛かった。最初は退院する予定だったのですが、副作用が強くてずるずる入院が長引き、結局2ヶ月くらい退院できませんでした。

抗がん剤のおかげで腹水と痛みは取れましたが、麻薬を点滴したり、シールではったりと、半年くらい続きました。そのときの後遺症で、手足のしびれなどが身体にまだ残っていると思います。

■「いずみの会」を知り、抗がん剤をやめようと決心

8クールが終わったとき、「抗がん剤をもっとやった方が良いですか?」と先生に尋ねると、「どちらでも良い。あなたが決めれば良い」といわれ、がっくりときてしまいました。そのころ「いずみの会」を知り、3大療法がどんなに身体に良くないか改めてわかり、もう抗がん剤はもうやめようと決心しました。

それから半年ほど過ぎ、今も病院に月1回のペースで通っていますが、残念ながら数値は良くありません。でも、「いずみの会」の皆さんにお知恵をいただきながら、尿療法や整膚(せいふ)など、自分でできる範囲のものを一生懸命やっているところです。

■心の負担が何年も積み重なり、がんに結びついた

私は、父と妹をがんで亡くしており、心の中のどこかに「いずれは自分もがんになってしまうのかな」という思いがありました。仕事は夜勤のある医療系でハードです。遅番・早番など勤務時間が不規則なうえ、末期患者さんのターミナルケアなども心の負担でした。仕事ですから慣れざるを得ませんが、どこかで無理している自分がいました。いざ自分が入院し、痛くて辛い日々でしたが、仕事から解放されたという安堵感もありました。

今も職場に席は置いていますが、「もう戻りたくない」という気持ちです。仕事のストレスと、仕事以外でも人との交流で窮屈なところがあります。悲しい別れなどもありました。40代ですからフットワークも軽く、運動もできましたけど、心はものすごく疲れていて、泣けてしまう夜もたくさんありました。本当に、いっぱいいっぱいでした。そういった心の負担が、がんに結びつくということを全然知らなかった私ですが、「いずみの会」でいろいろ勉強し、「ああ、心がすごく疲れて悲鳴をあげていたんだな」と、今は嫌というほど分かります。心の負担が何年もの間、積み重なった結果、なるべくしてこうなったと今は思っています。

病気との因果関係を知ることで、これからの心構えが違ってきます、再発しないよう気をつけることもできます。しかし医者の間で因縁因果などというと「馬鹿なことを言うな。お前は変わっている」と言われてしまう。それは医療において、「心」「気」という大切なものが抜けてしまい、具体性のある科学だけで判断するからです。ここに私はどうしても限界を感じます。

同じ苦労でも、人によって受けとめ方が違うように、病気も同じことがいえます。がんという病気も、症状も進行具合も、人によって違い、じつは定義ははっきりしないものなのです。これを一律に「がん=不治の病」という枠にはめてしまうことで、多くの人が「悲劇の主人公」になってしまうのです。

がんの定義ははっきりしない
「がん=悲劇の主人公」は間違っている
がんで治っている人はたくさんいる

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